人はすべてを忘れてしまうーー五年日記

  1. Family


2019年の元旦から五年日記をつけています。つけ忘れてしまう日もあるのですが、それでも9割方のページは埋まっています。


去年の今日のこと、一昨年の今日のことを毎日、振り返って見るのは、不思議な感覚です。ずいぶん時間が経ってしまったように思えることもあれば、あれ?これって去年の今頃だったんだ、と思うことも。


この3年間は、私の人生の中でもかつてないほど、家族との密度が高い時間でした。


2019年は父の介護で、毎週のように札幌に帰っていました。亡くなる8月までの日記は、日に日に弱っていく父との会話や、日々の出来事で埋められています。療養型の病院を探して、札幌の街をあちらこちらへ。そして、遠く離れた定山渓の病院への転院。


2019年の後半は、家人の白血病の発症と闘病の日々。毎日、通った病院での一緒の食事。


2020年に始まったコロナ禍の時間と7月の退院、そして東川で家を借りての夏休みの2週間。その間に東川プロジェクトが着工して、それを2人で眺めたこと。


2020年の後半、白血病の再発と臍帯血移植。


そして、今年になって待ち侘びた春の退院。その後の、予想しなかった入退院の繰り返し、そして自宅療養。


この五年日記の3年間に詰まった時間は限りなく重いのです。


以前、父が「忘れるというのは人間の素晴らしい才能だと思うよ」と言ったことがありました。


確かに、、、もう耐えられない、と思う辛いことも、いつしか忘れるから生きていけるのかもしれません。
特に、時間軸は記憶の中ではとても曖昧です。出来事は覚えていても、それがいつだったかということは、瞬く間に薄れていってしまいます。


それで良いこともあるけれど、私は自分の人生の中の句読点を、はっきりと打っておきたいという気がします。


五年日記は私にとって、そのためのもの。流れていく時間だからこそ、一つ一つ確かめ、手応えを感じながら、引き出しにしまっておきたい。

人にとって本当に大切なのは、日々の中の何気ない言葉。

「怒ってごめんな」と言った父の言葉。

「すぐ帰る」と言った入院中の家人の言葉。


言葉は儚く、消えていってしまう。


けれど、日記に記された言葉は消えることはありません。
手書きの文字に心を映した五年日記。今、いちばんの宝物です。

ほぼ日手帳の五年日記。

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