延命治療はしない

  1. Family

2019年8月28日、父は痰が絡んでひどく咳き込み、苦しんでいました。

間質性肺炎が悪化し、肺に痰がたまっていきます。

看護師さんが「痰を取っていいですか?」と聞くと、父はイヤイヤと首を振りました。

「痰を取る苦しみは本人にしかわからない」と苦しい息の下から言うのです。

痰を吸引すれば、少し楽になるのですが、4〜5時間でまた痰が絡んできます。

私は「父の言うとおりにしてください」とお願いしました。

夜になってさらに咳き込むようになり、父は「もう終わりにしてほしい」と何度も口にしました。

担当の医師や看護師とは、すでに話し合っていました。

延命処置をしないで、苦しみを取り除くには、モルヒネを使います。

しかし、そうすると意思の疎通は取れなくなります。

それでも、弟と私は、父が苦しくないようにしてください、とお願いしました。

看護師さんが薬の用意をしている間に、私は父をハグしました。

そして、パパ大好きだよ、ありがとうね、と耳元で繰り返しました。

父は両腕を私の背中に回し、ポンポンと何度も叩いて、ありがとう、ありがとうと言ってくれました。

苦しみを取る処置として、まずは座薬の睡眠薬を用いました。

6時間くらいは静かに眠っていたのですが、深夜3時頃になって、薬が切れたのか、また咳き込むように。

モルヒネを使うことは、深夜勤務で医師が不在の場合、看護師さんにとっても勇気のいることです。

けれど、私たちの強い希望で、事前の医師の指示に従って、モルヒネの注射をしてくれました。

しばらくすると、父の眉間のシワは消え、スヤスヤと気持ちよさそうに眠りました。

父のその状態は、1日経っても続いています。

医師によると、今はモルヒネの効果ではなく、体内の二酸化炭素が増えて、痛みを感じない状態になっているとのこと。

耳は最後まで聞こえているので、話しかけてあげてください、と看護師さんにも言われ、ずっと父に話をしています。

一緒に行った旅行のこと。

母のこと。

私が今、考えていること。

東川の家のこと。

東川の新しい家を父はとても楽しみにしていました。

出来上がったら、「医療タクシーで連れて行くね」と話していました。

父も「行きたい、いつできるの?」と。

私の個人ブログやフェイスブック、そこに頂いたコメントも、ひとつひとつ読んであげました。

父は私のフェイスブックを見るのを楽しみにしていました。

コメントも、すべて目を通していました。

私は、父が見ていることを意識し、父の病気のことや、父の状態にはあまり触れないようにしてきました。

でも、今は、父がipad を見ることももうないのです。

父は、話しかけても答えることはなく、目を開けることもありません。

けれど、手を握って、読んだり、話しかけたりしていると、父がかすかに握り返してくる気がすることがあります。

ああ、わかってくれているのだな、と思います。

今朝、夜勤看護師長の方が病室に来てくれました。

その時、「医療従事者の方ですか?」と私に尋ねられました。

延命治療はしないと決めていても、また、本人が震える手でそう書いても、いざとなると、できる限りのことをしてくださいと言う家族が多いのだそうです。

「医療従事者でないのに、よくご決断なさいましたね。辛かったでしょう」と、肩を抱いてくださいました。

私たちのように、延命治療を望まない方は多いと思います。

しかし、それはいくつか条件が整わないと難しいのかもしれません。

1.本人が病院側に意思を表示すること。

2.家族で前もって話し合っていること。

3.家族に本人の意思を尊重する決意があること。

4.医師や看護師が、家族や本人の意向を尊重して対応してくれること。

父の場合は、本人がはっきりと「終わりにしてほしい」と口にしたことで、私たち家族も強い思いで決断することができました。

父を苦しませたくない。

父の気持ちに背くことはしたくない。

ただ、ただそう思いました。

今、私の気持ちは安らかです。

父が苦しんでいない、ということが心から有り難いのです。

咳き込み、息も絶え絶えの父を見るのは、本当に辛かった。

この時間がどれくらい続くのか、それはわかりません。

今は、この時を父と過ごせることに感謝したいと思います。

父の手を握る。

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コメント

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    • K in NY
    • 2019年 8月 30日
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    いつもいつでも、結花さんの、
    優しくて温かい手は、ひらひらと、
    私の前で軽やかに動きながら、
    ある時は薄い桜色、
    ある時は真っ赤なバラみたいな色、
    その日の大切なイベントや、
    その日の結花さんのお気持ちを
    表すかのようなマニキュアが、塗られていましたね。

    お父様の手を優しく握る結花さんの今の手、
    マニキュアなくても、とても清らかで。

    このお写真、撮っておかれて、良かったです。

    私も、父の手を振った写真、
    今も見返しては、心の支えになっています。

    延命治療をしなかったからこそ、
    父の手をきちんと、私も握ることができたんです。
    結花さんと弟さんのご勇断があったからこそ、
    お父様のぬくもり、大切に覚えていられますね。

      • yuka-shimoda
      • 2019年 8月 30日
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      Kさん、ありがとうございます。
      今にして思うと、父との時間を動画に撮っておけば良かった、と思ったりもします。
      でも、フェイスブックのおかげで、写真だけはたくさんあります。
      札幌へ帰る度に父と出かけ、それをフェイスブックにアップしていました。
      そのため、今回、フェイスブックにもたくさんのコメントを多くの方から頂いています。
      皆さん、ご自身の経験を語ってくれ、それを読むと、本当にみんなたいへんな思いをしているのだな、と思います。

      私自身、このブログをスタートしたことで、本当の意味で言葉の力を知りました。

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