宮本輝の「命の器」という本を読み返していて、救われる文章に出会いました。
「優駿」という小説を連載していた宮本輝は、何人かの調教師や騎手に取材をします。その中で、ある騎手が、二頭の馬が競り合った時、勝負を決定づけるのは馬の能力ではなく騎手の気魄だと言うのです。
そこで宮本輝はさらに深く、その騎手に気魄の差はどこから来るのかと問いかけます。そうすると騎手が「確信」と答えるのです。絶対に負けないんだという確信を持っている方が勝つと。
それを聞いて、結核を患って結核病棟で何ヶ月も過ごした体験を持つ宮本輝は思うのです。その騎手の言葉が真理であると。
「絶対に病気を治してみせる。必ず治るんだと確信を持っていた人は、たとえ重症でも、医者がびっくりするぐらい早く退院していった。」「気迫。確信。それは不可能を可能にする不思議な作用を人間にもたらすのであろう。」(「命の器」宮本輝・著より)
10数年ぶりに開いた1冊の本の中で、自分が今、最も求めていた言葉に出会うーーなんと不思議なことでしょうか。
この間、私があげたブログやSNSに多くの方から、温かいコメントをいただきました。
信じています。祈っています。
それぞれの方がそれぞれの言葉で、繰り返し繰り返し、この言葉を語ってくださいました。心から感謝にたえません。
皆さんの言葉に支えられてきた数日。そして今、この本に出会って、思うのです。
ただ信じるのではダメなんだ。
疑うことなく信じる。
「確信」を持つことが必要なのだと。
今日、東川からは、キッチンと洗面を設置している写真が届きました。総勢10名余りの方が、作業に関わってくださっていました。
昨日よりは状態が良いという家人にこの写真を送ると、「あんまり急がないで」。元気になるにはもう少し、時間がかかるから、と。今は「東川に行きたい、東川の家で暮らすことばかり考えている」と家人は言います。
二拠点生活の場として、東川に家を建てることを決めた時、私たちは今のような状況を全く予想していませんでした。
家人がこんなにも長く闘病するということも、そして、東川の家がこれほど私たちの心の支えになるということも。
考えてみると、人生には予想のつかないことばかり起こります。嬉しいことと悲しいことは、あざなえる縄のように交互に、あるいは一緒に訪れます。けれど、それは必ずしも不幸せなことではないのではないか、と思うようになりました。
影があって初めて光の存在を意識することができるように、悲しいことがあるからより喜びも感じられるーー憂いのなかった若い時代には思いもしなかったことですが、私自身、その分さまざまなことを深く感じられるようになった気がします。
そういいつつも、今の家人の憔悴ぶりには、日々心が痛むばかり。
けれど、確信しています。絶対に大丈夫。東川の家で暮らす、という私たちの希望は必ず叶うのだと。
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