100歳の義父の最後の手紙

  1. Family

義父は私のただ1人の文通相手でした。
至誠が逝ってから、毎月26日の月命日にはおとうさんに手紙を書きました。至誠のことを分かち合い、私の思いを素直に書けるのは、義父しかいませんでした。

99歳で息子に先立たれることは、私とはまた違った辛さだったと思います。私の手紙に、義父は毎回、便箋3枚、4枚という手紙で返事をくれました。そこにはいつも、早く笑顔になってください、と書かれていました。そして「新しい娘」ができたと。姉2人と仲良く、という言葉も繰り返し、繰り返し書いてくれました。

手紙を書くということは、相手のことを思いやる時間をもつことなのだと思います。ただ、便箋の向こうの人に語りかける時。一文字ずつ、刻むように。

おとうさんからの手紙。
書道に秀で書道塾も20年近くしていた。
100歳とは思えない美しい文字。

至誠が生きている時は、ほとんど岐阜に行くこともなかった私。至誠が亡くなってから生まれたおとうさんやおねえさん達との繋がりは、予想もしていなかったことでした。友人達の支えと共に、その繋がりはこの1年間、深いところで私を支えてくれました。

おとうさんもおねえさん達も、至誠の一部なのだと、至誠が亡くなってから気づきました。

どこまでも、どこまでも優しかったおとうさん。何ひとつしてあげられなかったことを許してください。

11月11日のおとうさんの手紙には、生きることに誠実に向き合う姿が書かれていました。

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前略

いつも優しいお便りをありがとう。
100歳を超えますと、自分の体でありながら制御できず、最近は入退院を繰り返していて、せっかくお便りいただいてもお返事を出さず、申し訳なく存じます。
結花さんの至誠に対する思い出、死後も優しく至誠との暮らしを東京と北海道で過ごしてくれていること、至誠もこれ以上の喜びはなく、淋しい思いをしないであなたとの会話を楽しんでいると思います。

それにしても、今もって至誠がさも生きているかのような深い思いやりを、心から感謝しています。

もう私も百歳を超え、自分の体が自分の体でなくなりました。最近はつくづく終わりを意識するようになりました。
今後とも2人の姉と仲良く至誠を温かく見守っていただきたいと思います。不自由なので便りもできないですが、結花さんには、感謝の心でいっぱいです。

今後の便りはいつになるかわかりませんが、最後の一瞬までがんばります。今後のことをよろしくお願いします。
これから寒さに向かうと老体は何かを感じます。
できるだけがんばります。

結花さんも何より体を大切にしてください。
いつもお便りをありがとう。
2人の姉とも仲良くネ。
              父より
結花様
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これがおとうさんからの、最後の手紙になりました。12月12日、義父は100歳で逝きました。至誠の傍へ。

おとうさんと至誠。
おかあさんの法事に席で。


今朝、私は今年の自分のブログを読み返して過ごしました。

1月


10月26日の至誠の死からまだ心がフリーズしたまま。それでも入れ代わり立ち代わり来てくれるゲストのおかげで、日々を送ることができた頃。1月4日には美瑛の雪の中で忘れがたい景色と出会いがあった。

美瑛の美しい午後http://yuka-shimoda.jp/lifestyle/2070/

2月


東川お料理隊が来てくれた。みんなで料理を作り食卓を囲む。この景色をどれほど至誠と一緒に待ち望んだことだろう。
夜、薪ストーブの炎を傍に、言葉少なに、降る雪をみんなで眺めていた時間を思い出す。

東川お料理隊http://yuka-shimoda.jp/lifestyle/2120/

3月

東京では桜が咲いた。そして、東川では、雪の間からふきのとうが芽を出した。

東川のテラスでhttp://yuka-shimoda.jp/lifestyle/2209/

4月


友人と千葉のカワグチ・ヒロさんのアトリエに行く。目の前で演奏してくれた「母の願い」と「イマジン」。至誠といつも行った桜散歩をひとりでする。昨年は2人だった桜の季節。とめどなく涙が流れた。

人生は甘美なことにあふれているhttp://yuka-shimoda.jp/family/2228/



5月

少しずつ、少しずつ膨らんでいった2M houseの桜の蕾。5月5日、ついに満開に。学生時代からの友人カズさんと、テラスから桜を眺めてランチをする。
月命日には、庭に咲いた黄色のスイセンで至誠を囲んであげた。
岐阜のおとうさんの百歳のお祝いの会。「娘3人」でおとうさんを囲む。

百歳のお祝いhttp://yuka-shimoda.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/2316/

6月

至誠のおねえさん2人が東川に来てくれた。シゲちゃん、シズちゃんと過ごした忘れ難い6日間。
庭にはデイジーと真っ赤なポピーが咲き乱れる。毎朝、イチゴを摘む。
6月24日、至誠の70歳の誕生日を東川で迎える。

おねえさん達との6日間http://yuka-shimoda.jp/family/2337/

7月

東京都美術館で、織田コレクションによる「フィン・ユールとデンマークの椅子」展が始まる。織田憲嗣先生の笑顔が忘れられない。
友人のミカリン、黒ラブのシルフと3人で、フェリーで北海道へ。苫小牧ではカズと愛犬の五右衛門が出迎えてくれた。
東川2M houseで初めて犬のいる生活を経験。庭を駆け回るシルフの姿が今も目に浮かぶ。

織田コレクションが輝いた日http://yuka-shimoda.jp/interior/2429/

8月

至誠の新盆。特別な事はせず、ただ語り合って過ごす。毎日、庭のトマト、ハーブ、ベリーの恵みをもらい、テラスで朝食。
「人は与えられた才能を生かさないと」という至誠の言葉を実現する思いでインスタライブ、キャンドルトークをスタートする。

「人は与えられた才能を生かさなければ」http://yuka-shimoda.jp/lifestyle/2461/

9月

穏やかに東川の夏が過ぎていく。梨やブドウが実り始める。
時々、至誠を思い出し、涙に暮れながら。
たびたび友人達と行った美瑛のSSAWでの時間が安らかな記憶に。
友人と旭岳に行く。

10月

至誠の1周忌の法要を岐阜で行う。お姉さん達とも6月以来の再会。お母さんの傍に納骨し、東京に戻る。
10月26日は、親しい友人たちが偲ぶ会を六本木のラ・ブリアンツァで開催してくれた。
翌日、東川に戻る。

悲しいのではなく、ただ愛しいだけhttp://yuka-shimoda.jp/family/2497/

11月

黄金色のカラ松と大雪山、十勝連邦の景色が目に焼き付いたひとりドライブ。その数日後、初雪が降った。
11月20日(日)東川デザインスクールで講演させて頂く。130名の方が来てくださる。終わった後で東川2M houseでオープンハウスを開催。参加者は40名。大切な1日だった。

ニ拠点生活で気づいた豊かさhttp://yuka-shimoda.jp/lifestyle/2531/

12月

12月12日、義父の訃報。翌日、岐阜へ。おねえさん達と3人、おとうさんの傍で夜を過ごす。
14日、モダンリビング発売。東川2M houseが掲載される。おとうさんに見せたかった、とおねえさんが言った。

12月1日、至誠と私の人生が始まった日http://yuka-shimoda.jp/lifestyle/2546/

さようなら、2022年。

多くの友人達と家族にありがとう。

私は至誠と2人で、静かに新しい年を迎えます。

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