6月24日は至誠の誕生日でした。70歳。数え年では、古稀と呼ぶ歳です。70年生きることはなんて難しいのでしょうか。古稀を待たずしていなくなってしまうなんて、思いもしなかった。
24日、私はオンラインミーティングが何本かあり、やっと一息ついたのはもう夜になってからでした。この大切な日をやり過ごしてしまってはいけないと思い、至誠と2人でささやかなお祝いのディナーをすることにしました。
チキンとサラダの簡単な料理ですが、丁寧に盛り付け、小さなグラスに赤ワインを注ぎました。至誠の写真の周りにはキャンドルをたくさんつけて、至誠と話しながらゆっくりと食事をしました。
2021年の至誠の誕生日は通院の日でした。帯状疱疹の痛みが強く、食事もままならない日々。それでも、ただただ2人で一緒にいることだけでよかった。それだけで充分幸せでした。
2020年の至誠の誕生日は、まだ最初の病院に入院中でした。伊勢丹でパジャマを買って至誠に届けました。コロナで面会はできない時期でしたが、FaceTimeで毎日よく話をしていました。長い入院生活に倦みながらも、あと1ヵ月で退院できるという希望が私たちにはありました。
2019年の至誠の誕生日。私の日記を見ると、仕事で忙しく遅く帰った私と、付き合いで飲んで帰ってきた至誠。お互い感情のそりが合わず、なんとなく不機嫌なまま、この日を終えてしまったことが示されています。それでも、翌日のロケ弁作りでは、いつものように至誠が早朝に起きてきて、ご飯を、炊いてくれました。
どうしてもっと記念日を大切にしなかったのだろう。いつでもある日ではなく、その日しかない記念日だったのに。
一緒にお祝いの食事に行ったことももちろんあるけれど、その日でなくては、と切実に思っていなかったように思います。そのうちに、と言っていて消えてしまった記念日もありました。
その日を記憶するために、どんなささやかなことであっても良いから、いつもと違うことをすればよかった。食事に行く時間がないなら、寝る前に少しだけ、ワインと共に語り合う時間を持てばよかった。
今年の至誠の誕生日。食事の後、私は至誠の本を読みました。
「神様の愛したマジシャン」(徳間書店)。
現役のマジシャンがマジックについて語った本。至誠の作家人生で、最初で最後の小説です。
主人公は大学生の誠。有名なプロマジシャンを父にもち、自らもプロを目指します。
この本の中には、至誠のマジックに対する考え方と共に、学生マジックのことが克明に描かれています。至誠は私たちの学生時代を全部描き込んでくれたのです。
至誠と私は、大学のマジックサークルで出会いました。至誠はすでにナポレオンズとしてプロデビューしていましたが、よくサークル活動に顔を出してくれ、後輩を指導してくれました。
本のストーリーを追っていくと、さまざまなシーンが蘇ってきます。この場面はあの時のこと、これはあの人がモデル、このエピソードはあそこから、、、と、モザイクのように組み合わされています。それがほとんどすべてわかるのは、多分、私だけでしょう。それくらい、至誠と私は共に生きてきました。
至誠の70歳の誕生日のことを知らせた時、「ずっと一緒にお祝いしてきたんだね。そんなに長かったら、ふたりの誕生日って感じだね」と言ってくれた友人がいました。
ふたりの誕生日。そうだね。そうなんだよね。
この本を執筆している間、至誠は1度も私に読ませてくれませんでした。校正を手伝うこともありませんでした。本になって家に届いた時、至誠は最初の1冊にサインをして、私に渡してくれました。
何年かぶりに「神様の愛したマジシャン」を読み返してみると、プロの文章だと改めて思いました。ストーリーの構築に無駄がなく、それぞれの場面が鮮やかです。そして文章にはスタイルがありました。
至誠が最初に考えていたこの本の書名は「神様に愛されたマジシャン」でした。正確に伝えたい意味を表現していましたが、より平易に、ということで「神様の愛したマジシャン」に変わったのでした。
至誠は言っていました。「神様に愛されるマジシャンは、ほんのひと握りしかいないんだ。それは選ばれた人なんだよ。ランス・バートン(ラスベガスで長期公演をしていた、鳩出しで有名なマジシャン)のようにね」
けれど、、、。
至誠が逝ってしまった時、たくさんの見知らぬ方からのコメントが、さまざまな形で届きました。本当に驚くほどの言葉がそこにはありました。それを読むと、至誠がマジックを通して、笑いを通して、多くの方に受け入れられ、多くの方を励まし、そして愛されていたことを感じました。
至誠もまた、「神様に愛されたマジシャン」だったと思います。
東川2M houseの庭には、大輪のピンクのバラが咲き始めました。そのバラを摘んで、私は至誠の写真を囲みました。おねえさんたちと一緒に植えた、ラベンダーと共に。