去年の今日、9月1日は、父の野辺送りの日でした。
多くの方にとって、親の死は初めての経験だと思います。私もそうでした。母の時は父がいた。でも父の時は、私がすべて決めなくてはなりませんでした。
父は体調を崩して入院した時、東京に帰る私に「もしものことがあったら直葬で」と言いおきました。それ以降、そのことを話す機会は持ちませんでしたが、私は父の意向を尊重したいと思い、弟も同意してくれました。
ネットで見つけた「小さなお葬式」。その中に直葬がありました。
お坊さんも祭壇もお通夜もしない。本当に何もしない。ただ、もう夜でしたので、札幌市のきまりで丸一夜、時間をおかなくてはなりませんでした。私たちは父を葬儀場にお預けし、自宅に戻りました。弟と二人、4日間、病室に付き添い仮眠だけだった私たちは、ひどく疲れていました。父は許してくれる。これは父がくれた時間。そう思ったのです。
翌々日、野辺の送りを済ませ、父は4ヶ月ぶりに私達と家に帰りました。
その日の午後、弟と私は父がお世話になった二つの病院と、週に二度来てくれていたヘルパーさんの事務所にお礼の手紙とお菓子を届けることにしました。最後の定山渓の病院の前に入院していた札幌市内の病院は近くだったので、二人で行きました。
父に優しくしてくださった看護師さんが居合わせ、父の死を伝えると涙ぐんでくださいました。ありがとうございますと言うと、「だって、みんな下田さんのことが好きだったもの」。
その後、弟と私は、父ともよく行ったイタリアンレストランに行き、ランチを取りました。父の日にこのレストランのえんどう豆のスープをケータリングしたら、おいしい、おいしいと喜んだ父。オーナーに父が亡くなってと言うと、「実はうちも2月に父を亡くしたんです」と仰っしゃって、涙を浮かべてくださいました。
家に戻るともう限界のような気がして、私は前日に続いてひとり、モエレ沼公園を訪れました。この日はよい天気で、たくさんの家族連れが来ていました。
以前、父とピクニックをした芝生にひとり、横になりました。空は本当に青かった。
その時、友人から携帯にメッセージが届きました。そこには木村弓さんの「いつも何度でも」がシェアされていました。
「千と千尋の神隠し」の主題歌ですが、この時まで、私はきちんと聞いたことがありませんでした。ほとんど初めて、その言葉が私の中に流れ込んで来ました。
「さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる」(作詞 覚 和歌子)
モエレ沼で聴く曲は、、、そしてこの日は、、、ただ涙でした。
今、思い出しても、父に寄り添い続けた数日間はとても不思議な時間でした。心は澄み穏やかで、悲しいけれど辛くはなく、止まっているような時間でした。
そして、モエレ沼は、私にとって特別な場所、父と母を思う場所になりました。