至誠と、東川にて。

  1. Family


至誠が逝って1週間後。私は至誠と東川の家につきました。


一緒に行こうね、と日々言い交わした東川2M house。それを楽しみに頑張っていた至誠を思うと、涙が溢れてきます。


2年間の闘病中、抗がん剤治療や移植の後遺症、帯状疱疹や歩行不全など、多くの局面がありました。しかし、至誠は一度も泣き言を言ったり、嘆いたりすることはありませんでした。どんな時も前向きに、淡々と受け止め、笑いを忘れず、私を労ってくれました。


今も、私はそんな至誠を心から尊敬しています。


東川の家は私たちを大きく温かく包み込んでくれました。ゴロゴロソファに座って、コロニアルチェアに座って、ダイニングの椅子に掛けて、窓からの景色を飽きず眺め続けました。木々は黄金色に輝き、北国の晩秋は息を呑むほど美しい。

至誠がいる場所として作ったゴロゴロソファ。


至誠と一緒にいるという安心感と共に、自然が柔らかく私たちを受け止め、守ってくれていると感じました。


今回、東川へは友人のMさんが付き添ってくれ、家の準備から食事の支度まで手伝ってくれました。3月に竣工はしたものの、看病でほとんど行くことができず、鍋も器もない状態。最低限のものを揃えるだけで、かなりの労力が必要でした。だから、彼女の同行の申し出は本当にありがたいことでした。


ある朝、早く目覚めると、窓の外は朝靄がかかっていました。早起きのMさんが薪ストーブに火を入れてくれていました。

朝靄と薪ストーブ。美しいコラボレーション。


至誠の役目だった火起こしも、これからは私がやらなくては。車の運転も、自分でしなくては。今までたくさんのことを至誠に頼り、それを当たり前のこととして生きてきたけれど、これからは1人で立っていかなくては。


でも、私にはこの家がある。


至誠が残してくれた東川の家。ここは自然に恵まれているだけでなく、至誠と通った間に出来上がった、東川の人たちとの温かい交流がありました。多くの方が至誠の訃報を知っており、優しく迎えてくださいました。


東京での生活に変わりはありませんが、第二の故郷、と至誠も言っていた東川で、私は第二の人生を生きようと思います。


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夫・小石至誠の逝去に際し、多くの皆様から頂きましたご厚情に、深く感謝申し上げます。頂いたメッセージやお手紙、弔電にお返事できておらず、申し訳ございません。


人生の一部であった人の喪失は現実として受け止めるには大きすぎ、今は自分を支え、日々を送ることで精一杯でおります。

しばらくの間、少しずつ新しい暮らしを作り上げていく時間を頂ければと存じます。


ありがとうございました。


下田結花

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東川2M houseは、「2人とみんなの家」。

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