11月6日、土曜日。至誠の故郷の岐阜で、近親者による家族葬を営みました。
おねえさんと家族、至誠の甥や姪、その子供たち。そして、99歳のおとうさんも施設から来てくれました。
おとうさんは、おねえさん達から至誠の訃報を聞いた時、最初は驚いたものの、99歳まで生きていればそういうこともある、と言い、冷静に受け止めてくれたと聞きました。どれほど辛かったことか。
30人ほどの、至誠のことをずっと前から知っている人たちだけに囲まれた、静かな良い式でした。
その日、昼と夜、私は実家の和室で家族と長いテーブルを囲み、食事しました。子供達はまだ小さく、とても賑やか。至誠がいたら、こらっと笑いながら構っていただろうな、と思いました。
夕食後、仕出しのお弁当箱についていた輪ゴムを使って、姪達にマジックを教えてあげました。至誠の得意にしていたネタでした。みんな笑いながら夢中になってマジックをしているのを、至誠はきっと喜んでいるーーそう感じながら。
翌日、おねえさんが近所を案内してくれました。実家の畑のイチジク。至誠が小さい頃、遊んだ川。実家に帰ると散歩していた道。通った小学校や中学校。そこかしこに、至誠の姿が見えました。
もっと早くここに来て、至誠と一緒に歩けば良かったと思いつつ、でも、今、来ることができて良かった。
この穏やかで美しい自然が、至誠という人をつくったのかもしれません。
たくさんの方がたくさんのコメントやメールを寄せてくださいました。私の知らない方も多くいます。皆さんが至誠の優しさを、佇まいや話し方やマジックの中に感じていてくださったのだと、わかりました。誰に対しても温かく接する至誠でした。舞台でも普段の暮らしでも変わらない至誠でした。
食べていますか?眠れていますか?と聞いてくださる皆さん。本当にありがとうございます。食べていますし、眠れてもいます。昨日は12時間くらい眠りました。仕事も普通にしています。
私の中にスイッチがあって、そのスイッチが日常の暮らしや仕事を保ってくれているようです。けれど、そのスイッチが切れると、、、。
至誠と一緒にいると感じられるから、寂しくはありません。ただ、無性に悲しい。
特に、駅のような人の多い場所にいると辛いと感じます。たくさんの人がいても、そこに至誠はいないのです。
訃報のニュース、葬儀、テレビの追悼番組、、、そのたびに至誠がいないということが事実として固められていく気がします。
岐阜から戻り、これで一段落ついたのだなと思うと、ひどく疲れを覚えました。
今はただ、自然の近くにいたいと思います。
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