泣きたくなるほど美しい朝ーー至誠の命日を終えて

  1. Family


東川の庭はもうすっかり秋の深まりを感じさせます。紅葉した桜の葉は一部を残すだけとなり、黄色く染まった銀杏の木に、黄色の実が揺れています。去年の11月から1年。やっと庭の営みを知り、来年はもっとゆっくりと庭に寄り添っていけそうな気がします。


10月26日は、至誠の命日でした。


その日、私が1人で泣きながらご飯を食べなくていいようにと、友人たちが偲ぶ会を催してくれました。至誠が亡くなった時、病院に駆けつけてくれた友人たちを中心に、本当に親しい10人ばかりの会でした。


バケラッタのクリスマスパーティでお料理をしてくださっている六本木ヒルズのブリアンツァのオーナーシェフ、奥野さんのお店でした。至誠は奥野さんにゼッポリという青のりの入った揚げ物を教えてもらって、パーティではもっぱらゼッポリの担当でした。

パーティでゼッポリを揚げる至誠。

偲ぶ会は、みんなが折に触れて至誠のことを話し、笑いや冗談も混じってのとてもなごやかな時間でした。私は泣いてしまうのではないかと心配だったのですが、そんなことはなく、ただただみんなの温かく優しい気持ち包まれて至誠と一緒にそこにいました。

ただただ優しくて温かい時間だった。


会の終わりに、友人たちが白い花だけを束ねた大きな花束を渡してくれました。命日だから白なのではなく、私が白とグリーンの花束を好きなことを知っていたからだと思います。


翌日、朝いちばんの飛行機で、私は東川へ向かいました。もらった花束を抱えて。いつもは手荷物を機内持ち込みにするのですが、今回はトランクを預け、花束だけ機内へ。幸いすいている便だったので、隣の席に花束を置くことができました。

抱えきれないほどの大きな花束。


東川2M houseについて、いくつかの花瓶に分けて花を活けました。白い花はそこだけがポッと明るくなったように、秋の日差しの中で輝いています。


花を活けるには気持ちのゆとりが必要です。ここでは時間がゆっくりと流れているせいか、水を換えることひとつにしても、喜びを感じながら向き合うことができます。至誠の傍にも緑の紫陽花をアアルトのベースにこんもりと活けました。庭の最後のバラも、ふた枝あります。


一周忌の法要、そして命日と、ここ1週間ほどずっと心が緊張していました。

東川の家までこの花たちを連れてきて良かった。


旭川空港に着いた朝は快晴でした。空港を出て車で走っていると、織田邸のそばを抜ける真っ直ぐな道があります。いつもここを通るとき、帰ってきた、と実感するのです。


私が東京に戻っている間に冠雪した大雪山がくっきりと青い空に浮かんでいました。木々は赤く、黄色く染まって鮮やかでした。


泣きたくなるほど美しい朝でした。

半年ぶりに見た白く染まった大雪山。


図書館に寄って数冊の本を選び、貸し出しデスクに持っていくと、私のインスタグラムを見ているという係の方が「お帰りなさい」と声をかけてくれました。


東川という町が、そしてこの家が、この1年間私を受け止め、支え、そして優しく包んでくれたことに感謝しかありません。


そしてそれは、至誠が私に残してくれた最後の贈り物なのです。