3月も終わり、4月。冬から春へ、春から冬へ。東京と東川を行き来する中で、何度も行ったり来たりした季節。
3月12日は、至誠と私の40回目の結婚記念日でした。東川で、その朝、私はこの日をどう過ごそうかと思っていました。外はまだ雪が残っていました。この雪景色を見られるのも、あと少しだなぁと思うと美瑛の白い丘を眺めたくなりました。
SSAW Biei のカフェがオープンしている日だったので、そこに行くことにしました。車を走らせている間、ずっと1つの曲を繰り返し繰り返しかけ続けました。
いのちの歌。
竹内まりあさんの歌ですが、私が聴いていたのは、作曲した村松崇継さんが歌ったもの。
初めてこの曲を聴いたのは、数ヶ月前、東川町の小西音楽堂で行われたサンデークラシックの演奏会ででした。ピアノとバイオリンをバックに、ドートレトミシーの長尾さんが歌った、いのちの歌。最初に聴いたのが男性の声だったこともあり、いくつかのバージョンの中で私には村松さんの歌がいちばんしっくりきました。
雪原の美瑛を運転しながら、この歌の中の歌詞のひとつひとつが響いて、涙がとめどなく流れました。
「本当に大事なものは隠れて見えない。ささやかすぎる日々の中に、かけがえのない歓びがある」という歌詞に、至誠との最後の日々を思い出し、感謝と共に今も消えない後悔が何度も胸をよぎりました。
もっとできたことがあったのではないか、あの時、別の選択をしていたらーー自分を責めても意味がないことはわかっていても、そう思わずにはいられない。家族の死別に立ち会った人は、誰もが抱く気持ちだと思います。そのことが、自分が前に進むことを妨げていると知っていても、ついそこに立ち戻ってしまう。
けれど、「出会ったことにありがとう」と思うと、少しだけ、救われる気がしました。
拓真館のSSAWに着くと、いつもの暖かい空間がそこにありました。スタッフの方と言葉を交わしながら、ゆっくりとブランチをし、至誠との時間を過ごしました。
40年前の3月12日。私たちは知人の家を借りて、結婚式とパーティをしました。アルテ・デ・コトーというスペイン風の館は、私がたまたま雑誌で見て、訪ねて行った家でした。住宅を兼ねたその家は、吹き抜けのサロンがあり、家主の古藤美代子さんは小さなコンサートや知り合いの結婚式をそこで開催していらっしゃったのです。
古藤さんはデザイナーでした。私のウエディングドレスは古藤さんが以前お作りになったものをお借りして、お色直しのドレスはデザインして作って頂きました。
お式は、古藤さんが通っていらした南台の教会の牧師さんにいらして頂き、そのサロンで行いました。
そして、そのままその場でお祝いのパーティも。大学のマジックサークルで先輩後輩だった至誠と私の友人たちは、ほとんどがサークル仲間か、マジックの仲間でした。後半は、次々に、マジックショーになりました。
至誠のお父さん、お母さん、2人のお姉さん。私の父と母、旭川の母方のおばあちゃん。みんなニコニコしていました。
和やかで温かくて、笑いにあふれた1日でした。
至誠は30歳、私は23歳。婦人画報社に入社して1年経っていました。
親がかりにならず、自分たちのお金でやろうと決めた結婚式でしたからささやかなものでしたが、とても満たされていました。
私たちには未来しかなかった。
思い煩うことは何ひとつなかったあの頃、なんて幸せな時間だったのだろうと思います。
東京での満開の桜を経て、東川に帰ってきたら、東川にも春の兆しがやってきていました。
庭には福寿草やクロッカスが咲き、水仙やチューリップの芽が出始めていました。そして蕗のとうがたくさん!
蕗のとうを摘んで、春のパスタを作りました。
ニンニクと唐辛子を温め、刻んだ蕗のとうを加えて炒め、茹でたパスタと和えるだけ。ポイントは、蕗のとうは刻むとすぐにアクが出て茶色になってしまうので、パスタの茹で上がりの直前に刻んですぐに炒めること。新鮮な蕗のとうは、アクもなくて柔らかい。鼻に抜ける香りは、蕗のとうならではです。
私の作るパスタが大好きだった至誠。
至誠が美味しい、美味しいと食べている動画が、私のスマホにはたくさん残っています。
この蕗のとうのパスタも、至誠はきっと喜んでいるね。
東川はもうすぐ、花いっぱいの春を迎えます。