雨も風も強い、春の嵐のような朝。室温は20度を下りませんが、それでも少し火が恋しくなって、薪ストーブをつけました。窓の外の桜と薪ストーブ。北国ならではのコントラストです。
昨日は従姉妹に運転してもらって、車で札幌まで日帰りしました。
父が亡くなって、すぐに至誠の白血病が発覚。コロナもあり、至誠が入退院を繰り返す中で、実家の片付けには全く手がつけられませんでした。
今回はごく一部の大切なものだけ東川の家に持ち帰りました。その1つが、モーエンス・コッホのフォールディングチェア(折りたたみ式の椅子)です。
この椅子を両親にプレゼントした時、「きれいな椅子ねえ」と言った母の言葉が忘れられません。冬はこの椅子に座って、ストーブの前で温まっていた母の背中が、今でも目に浮かんできます。
母が亡くなった時、駆けつけてくれた母の弟である叔父は、母の写真の前でこの椅子に座ってうなだれ泣いていました。
父と札幌のモエレ沼公園にピクニックに行った時も、この椅子を車に積んで行きました。下に座ることが難しかった父は、芝生に置いたこの椅子のおかげで、心地よく数時間を過ごすことができました。9月の末の暖かい日でした。サンドイッチを食べながら、雲を眺めました。トンボが飛んできて、父の帽子に止まりました。穏やかで幸せな時間でした。
何度か父が入院したときは、この椅子を病室に持ち込んでいました。病院の椅子はとても硬くて座りにくく、長時間座っていると腰が痛くなります。折り畳みの椅子なので場所をとらず、狭い病室でも置いておくことができ、私もゆっくりと父のそばで語り合うことができました。
父の最後を弟と2人で看取った時も、この椅子はベッドの傍にありました。
北海道で大きな地震があったとき、母の写真のそばの花瓶が倒れてその水が座面にかかり、大きなシミができてしまいましたが、それも家族の時間の一部です。
場所が変わっても、家が変わっても、椅子は人生を供にしてくれる存在です。
15年ほど前、デンマークに取材に行った時、クヴァドラの創業者の老夫妻がサマーハウスに招いてくれました。海辺の可愛らしい家で、そこには専用のスタンドに美しく収まったモーエンス・コッホのこの椅子がありました。それを見た時からいつか自分の家にと思っていた椅子でした。
両親との時間を経て、これからは東川2M houseで、この椅子は時間を重ねていきます。