今朝の東川は雨でした。
こちらに来ると朝早く目が覚めるようになります。朝の景色を見逃したくないからです。
さすがに日の出とともに起きるのは稀なことですが、それでも6時には起きて庭を見回ったり、空を眺めたりしています。
ゆっくりと朝のコーヒーを飲んでいると、雨が止んで、日差しが部屋の中に注ぎ込んできました。
自然の何が素晴らしいかと言えば、一瞬として同じ景色がないことです。
庭は見るたびに姿を変え、空は瞬時にして雲が流れ、光が変わります。
まるで変わり続けるアートを見ているよう。ハート山もうっすらと顔を出してきました。
「庭の見回り」はこの家での新しい習慣です。
350坪の敷地の半分位が庭ですが、以前の持ち主が農家さんだったので、たくさんの果樹や花、野菜が植えられています。
最初に目を出したのはふきのとう。その次に咲いたのは黄色いナニワズの花。
クロッカスが咲き、水仙が咲き、チューリップは今にも開きそうです。
ピンクのモクレンの花が咲き、エゾヤマザクラが開きました。
サクランボの蕾も大きくなってきています。
銀杏の木の下にはイチゴの苗が一面に広がり、バラや紫陽花も新芽をつけ始めました。
ブルーベリー、ハスカップ、グーズベリーにも新芽が、、、。
小さなすみれも顔を出しました。
庭は毎日、発見に満ちています。
昨年の11月から通い始めているので、まだこの庭を1年間通して見ていません。
どこに何が顔を出すのか、どんなふうに実をつけていくのか。
今年はそれをじっくり見守りたいと思っています。
東京にいると、仕事以外で人と会うことはほとんどありませんが、東川では言葉をかわさずに1日が終わることはありません。
朝、庭のビストロチェアでお茶をしていると、散歩をしていた顔見知りが声をかけてくれます。
買い物に行けば、地元の小さな情報のやりとりがあります。
ちょっと寄ってもいい?と、メッセージをくれて、家に来てくれる人もいます。
昨日は小西音楽堂にピアノの演奏を聴きに行きました。
小西音楽堂とは、街の中心にある一軒の家。故・小西健二さんという方が町に寄贈した建物です。室内は吹き抜けになっていて、ベーゼンドルファーのピアノとチェンバロが置いてあり、月に数回、コンサートなどが行われています。
昨日は札幌在住のピアニスト、鈴木涼太さんを迎えてのショパンの日。
ショパンの若い頃から晩年までの曲を、約1時間半にわたって間近で堪能しました。ベーゼンドルファーというピアノはとても貴重なものらしく、低音のまろやかな響きは出色でした。
ショパンの人生をたどってのこのプログラム、今まで何気なく聴いていた曲が改めて深く心に入ってきました。
地元の友人にも偶然、遭遇。?
帰りに町の図書館に寄りました。
旧小学校の敷地に、とても立派な図書館があります。
東川に来るとまず図書館に寄って本を借り、家ではもっぱら読書の日々です。図書館に行くと、普段自分が手を伸ばさないような本も読むきっかけになります。
昨日はショパンの人生について書かれた本を借り、帰宅してから一気に読みました。
「漂泊の詩人」とも言われるショパンですが、聴いたばかりの演奏を思い返してみると、心の中にとても激しいものがあった人なのだなと感じました。
一昨日の夜は、東川に移住してきた方たちに声をかけて、自宅で「ちらほら桜夕食会」をもちました。
その中には、街が主催した「起業家交流会」で出会った方もいます。
私は企業もしていないし、住民票を移していないので住民ですらないのですが?、役場の方が声をかけてくださり、参加しました。
子供連れの人もたくさんいて、そんなゆるさも東川らしいところ。?
夕食会では、それぞれの仕事についてや、気がついた東川の良いところ、面白いところ、不思議なこと。
そして織田コレクションや東川町のこれからについておしゃべりしました。
間には、庭に出て夕陽を眺める時間も。4人で眺めたこの日の夕焼け、何年か経ったらとても懐かしく思い出すんだろうなと思います。
年を重ねると、どうしても新しい経験の機会が減っていきがちです。二拠点生活は、自分の場所を常に新鮮な視点で見ることができる方法でもあります。
この美しい自然も、心震える夕陽も、地元の方にとっては当たり前のことなのかもしれません。場所を変え、外からの視線で見る機会があるからこそ、見えてくるものもあるのです。
東川に来て、私の新しい人生が始まりました。