東川は毎朝のように、こまかな雪が積もりますが、溶けていく雪の方が遥かに多く、雪どけの季節を迎えています。
美しかった冬。今度来た時には、この白い景色は見られないだろうと思うと切ないほどです。
東川に来始めたのは11月。至誠の葬儀から、数日後のことでした。1日でも早く、至誠と一緒に東川に行きたい。ただそれだけを思っていました。あれから5ヶ月が過ぎようとしています。
黄金色だった11月の景色から、真っ白な世界へ。その中で、東川2M houseはたくさんのゲストを迎えました。
ゲストが私を支え、励ましてくれました。きちんと食べること、笑うことを失わなかったのも、ゲストのおかげです。きっと、私が泣き暮らしてしまわないようにと、至誠がそうしてくれたのだと思います。
最近では、鳥たちもやってくるようになりました。ヒマワリの種が好きなシジュウカラやヤマガラ。リンゴが大好物のヒヨドリ。昨日はキタキツネも庭を散歩していました。
東川の素晴らしいことの一つは、人も動物も、適度な距離感でいることです。勝手に踏み込んだりはしない。けれど、必要な時にそっと手を差し伸べてくれるーー多くの場面でそれを感じてきました。
東京では躊躇してしまうこともしばしばですが、東川では家に招くことも、また招かれることも日常です。その適度な距離感がとても心地よいのです。
この5ヶ月の間に新しく始まったことの一つは、岐阜の義理の父と手紙のやりとりをするようになったこと。
今日もおとうさんから便りが届きました。長く書道を続けていた義父は今も文字を書くことを厭いません。
前略
お便りありがとう。懸命に明るく強く生きようと、悲しみと両立する様子がよくわかります。神様は「忘れる」という特権をくれました。ほんの少しでも、悲しみが少なくなることを念じています。至誠もそう思っているのではないでしょうか。(中略)どうぞ、お元気で。笑顔を取り戻して下さい。 父
99歳のおとうさんにとって、至誠が先に逝ったことがどれほどの悲しみであったことか。こうして労ってくれる文面を見るたびに、涙が溢れて止まりません。
「もうひとり娘ができた」と言ってくれたおとうさん。今はコロナで面会もままなりませんが、5月の100歳のお祝いには、至誠と一緒に会いに行くつもりです。
伴侶を失うことの喪失感は、親の時とは全く違いました。自分の一部を失ったような感覚は、きっと、これからも変わらないのだと思います。
できることは、ただそのことに慣れていくこと。
東川にもまもなく美しい春がやってきます。窓いっぱいの桜の花も、5月には咲くのです。
今はまだ、そうは思えないけれど、この冬を、至誠のいない初めての冬を、私はいつか愛しむようになるのでしょう。
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