雪の朝、母と至誠と谷川俊太郎さんの詩

  1. Family

目が覚めたらナルニアの森のような、雪国だった。今も降り続いている。

谷川俊太郎さんの訃報を見る。

18歳の時、たまたま行った札幌の書店で谷川さんがサイン会をしていらして、サインを頂いた。あの大きな、全てを見通すような目を忘れられない。

その時のサイン本は「台所で僕は君に話しかけたかった」は、今も東京の家にある。

谷川さんの詩集にはそれ以前から接していたが、「生きる」という詩に出会い、分かち難いものになった。

「生きる」というひとつの詩と写真だけの本に出会ったのは、青山の小さなカフェだった。当時、母のガンがわかり、毎週のように札幌に帰っていた私はいつも心が重く、朝、通勤することがとても苦痛だった。会社の手前にあるそのカフェの小さな椅子で、心を落ち着けて仕事に行く。そんなことを繰り返している時、カフェの本棚にこの本を見つけた。

とても有名な詩なのに、目にしていなかった。

「生きているということ。今、生きているということ」と始まる谷川さんの言葉に涙が溢れた。

それ以降、その本はいつも私のベッドの傍に置かれていた。

母にも朗読してあげたことがある。「いい詩だねぇ」と絞り出すように母は言った。

「生きる」が私にとってさらに大きなものになったのは、至誠の最後の入院の時だった。

気管切開し、瞬きでしか意思を表現できない至誠に、病院にいく度に、FaceTimeごしに「生きる」を朗読してあげた。コロナ禍、そんな状態になっても面会はできなかった。

そして、目を開けることさえなく眠り続けるようになった至誠に、それでも私は毎回「生きる」を読んであげた。

谷川俊太郎さんの詩の言葉のひとつひとつが、その時の私の願いだった。

谷川さん、ありがとう。安らかに。