介護と仕事のはざまで

  1. Family

命の灯火が消えようとしています。
少しずつ少しずつ。

深夜、0時過ぎに札幌からタクシーで、定山渓の病院に着きました。
一週間ぶりに会った父は、一回り小さくなっていました。
数日前から、ほとんど食事をとれなくなりました。
ゼーゼーとした息は、父の肺がもう限界にきていることを告げています。

静かな夜の中で、父の息をする音だけが響く病室。
尊厳をもってその人生を終わるということを、父は身を持って私に伝えてくれようとしているのだ、と思いました。

今朝、父と電話で話したとき。
くぐもった声でやっと聞こえた言葉。

「朝ごはん食べた?」
「ダメ。食べられない」
「明後日には行くから」
「待ってる」

その後、すぐにナースステーションから電話があり、父から伝言があるのこと。
「早く来てほしい」と。

今日は、セミナーの日。
代わりがいない仕事です。

集合場所の東京駅に向かう途中で、ネットで夜遅い飛行機をとりました。

介護と仕事のはざまで、引き裂かれるような思いをした方はたくさんいると思います。
陰と陽。
影と光。
仕事への責任感と、いつも一緒にいられないことの罪悪感。
さまざまな思いが交錯し、そこには正解はありません。

私も何度もそんな思いを抱えてきました。
講演やセミナーは、ずっと前から予定が決まっており、そのために多くの人の手と予算が動きます。
絶対に、穴をあけられない。
誰に代わってもらうこともできない。

けれど、仕事は自分を支えてくれるものでもありました。
介護という、終わりの見えない道程の中で、手応えがあり結果が見える仕事は、ある意味、救いでした。

介護離職を選ばざる得ない方もいると思います。
さまざまなケースがあり、一概に言えることではありません。

けれど、私は介護離職は絶対にしない、と決めていました。
介護休暇も、最後の最後の手段と思っていました。

私の人生はまだ先があり、それを中断することを父は決して望まない。
そう確信していたから。

私の仕事を心から応援し、楽しみにしていた父。
2013年にipadを贈ってからは、父にとって、フェイスブックが私の仕事や人間関係を知る手段でした。

3月からほぼ毎週、札幌に帰省しています。
それができるのも仕事があるからです。
経済的自立は、自分で生き方や姿勢を選ぶことを可能にしてくれます。
改めてそれを感ぜずにはいられません。

夜の病室で、ゼーゼーと続く音が、この瞬間は救いでさえあります。

「ありがとう」と繰り返し、その息の下から伝えてくれる父。
その命に最後まで寄り添うことが、今、私にできるすべてのことなのです。

2018年秋。私が運転する車でモエレ沼公園へ。
「外でご飯を食べたのはなん年ぶりだろう」と父。
2人で雲を見ていた。
決して戻らない、幸せな美しい午後だった。