ロンダニーニのピエターー至誠の月命日に

  1. Family

あの日から1ヶ月が経ちました。

もうそんなに経ってしまったという気持ちと、まだひと月にしかならないのだという気持ちと。


10月26日からこのひと月、普通に暮らしていることが不思議でならない。


私はまだこの現実を信じられないのだと思います。だから思いっきり泣くことができません。


あの日、とめどなくな流れた涙の後は、気持ちを冷凍して冷凍庫の奥に突っ込んでしまったような、そんな気がしています。その氷が溶けてしまうのが怖くて、取り出すこともできない。時々、氷の表面が溶けて涙ぐむことはあっても。


肺炎で最後の入院をした前日の夜。私たちはいつものようにハグしながら眠りにつきました。


その時、突然、ロンダニーニのピエタを思いました。ミラノで見たミケランジェロの最後のピエタ。あれはマリアからイエスが生まれいずるところだと思っていたけれど、そうではないのだ。2人が一つになろうとしていたのだと気づきました。


病院での最後の時、私はまた、ロンダニーニのピエタを思いました。私たちもあのピエタのように、至誠は私の中に入り、私たちは一つになるのだ、と。


今朝は日の出と共に起きて、友人からもらった蜜蝋のキャンドルをつけ、至誠にたくさんのことを話しました。

至誠のベッドルームから見える景色。
けぶるような雪を被った樹木。


至誠は「もう結花の幸せだけが望みだ」と言ったけれど、至誠がいないのに幸せになんかなれるわけがない。そう思いながらも、でも至誠が望んだのは、私がここで笑顔で暮らしていくことなのだと改めて思います。


今朝も東川の朝は、粉雪が舞っています。真っ白の世界は清々しく、小鳥たちが梨の木の枝の間で戯れています。
先日来てくれた友人たちが、手荷物で持ってきて組み立てくれたエクストレミスのビストロチェアは、オンコの木の下で雪の中にたたずんでいます。それは私たち2人がこの家を眺めている姿のようにも見えます。


こうやって一つ一つ、この家にも至誠と私の記憶が刻まれていくーー。


私は、この東川2M houseで、至誠と一緒に幸せに暮らしていくよ。

友人達の贈り物、ビストロは
いつも眺めていられるように木の下に置いた。