小石至誠の40日ーーあの声を聞きたい

  1. Family


至誠が肺炎で9月9日に入院して40日以上が経ちました。


9月11日には気管挿管してICUへ。声が出せなくなりました。私が聞いたその前の至誠の声は、「結花ちゃん。青森のりんごジュースが飲みたい」という言葉でした。


私は至誠の声が大好きでした。ステージでも普段でも、艶のあるよく通る声。あの声でいつも私を笑わせてくれた。それは白血病になって入院し、長い隔離の間、FaceTimeを通しての会話でも変わりませんでした。


振り返ってみるとこの2年間、至誠は入退院を繰り返し、一緒にいた期間はとても短かった。けれど、毎日、二度三度のFaceTimeで一緒にご飯を食べ、語り合い、共に暮らしていた時よりもむしろ近くにいたような気がします。


心がそばにあることをいつも感じていました。本音で語り合うこともできました。


今年の5月に倒れ、ほとんど寝たきりになって6月に家に帰ってきてからは、より一層心を寄せ合っていたような気がします。


「そばにいて手を握って」
欲しいものはない?と聞くと、至誠はいつもそう言っていました。


仕事も家事も全てを投げ捨てて、ずっと至誠のそばにいて手を握っていてあげればよかったと思います。


でも、そんなことを至誠は望まないのです。私が仕事をすることを、卒業して就職した当初から支え、励まし、寄り添ってくれました。私にとって仕事が人生においてどんな意味を持つのかを、いつも理解してくれていました。


私の人生の中では常に仕事が優先で、家族のことはその後だったと思います。それが少しずつ変わったのは、母や父の介護が始まってからでした。けれどその時には、至誠の事は二の次になっていました。


毎週、父の介護で札幌に帰っていた時には、早朝に出かける私をいつも一緒に起きて見送り、夜遅く帰ってきた私を温かい食事で迎えてくれました。


2019年の8月に父が逝き、やっと至誠のことを最優先にできるようになった時。その年の10月に急性白血病が発病しました。


これを読んでくださっているあなたに伝えたい。今、目の前にある当たり前の日常を大切にしてください。それはほんのわずかなことで、もろく崩れ去ってしまうものなのですから。


今は至誠のあの艶のある声を聞きたい。あの声で「結花ちゃん」と呼んで欲しい。それ以上のことは望みません。
Day1

去年の夏休みには2週間、東川に住んだ。
東川の北の住まい設計社のカフェで。