至誠がICUに入って2週間以上経ちました。この間、肺の状態は少しずつ良くなり、酸素吸入量も減ってはいるものの、まだICUを出るには至っていません。
先週の金曜日に、血液内科で長く至誠を見てくれている担当医から、今後のことについて話を聞きました。
人工呼吸器を外すにはまだ不安な状態であること。一旦外してしまって、また肺炎が再発し、再び人工呼吸器をつけることになると、肺がどんどん硬くなってしまう。それは、絶対に避けたいこと。今の状態は本人にとっては辛いので、気管切開をした方が楽になること。気管切開と言うと、見た目の印象から、ショックを受けるご家族が多いが、あくまで前向きな治療として考えていること。少し動くこともできるようになるので、リハビリも進み、体力もつく。気管切開をしても良くなれば、それを閉じることができる、、、。
臍帯血移植の前から、1年近く至誠を見てくださっている担当医のK先生は、とても丁寧に、家族の気持ちを慮って説明してくれ、私の質問にも真摯に答えてくださいました。こうした医師に巡り会えたことは本当に幸せなことだったと思います。
それとともに、ICUの医師や耳鼻咽喉科の医師とも連携をとって進めていることも話してくれ、来週には実際に執刀する耳鼻咽喉科の医師からも話を聞くことになりました。
今日の午後、病院に行き、iPadのFaceTime越しに至誠に会いました。数日前から37度後半の熱が出て、なかなか下がりません。それが心配だったのですが、今日は意識がはっきりしている時間が多く、私の方をしっかりと見て、イエスと言う意味のまばたきをしてくれました。そして初めて、気管挿管しているにも関わらず、首を縦に振ってうなずいてくれました。顔をしかめたり、辛そうな様子はあまりなかったので少しだけほっとしました。
病院に行く前に、美容室にカットに行きました。私の行ってる美容室は女性の美容師が1人でやっていて、他のお客様と顔合わせることはほとんどありません。
シャンプーしてもらっている時、不意に涙がこみ上げてきました。至誠が家で療養している時、私が髪を洗ってあげていたのですが、そのことを思い出したのです。
人は普段の当たり前のことで泣けるのですね。
また、髪を洗ってあげたい。
ともすると気持ちがどんどん落ち込んでしまいそうになりますが、多くの友人、知人がさまざまな形で私を支えてくれています。本当に感謝しかありません。
数日前、ある知人が一冊の本を送ってくれました。
「私は決してあなたをひとりにしない」(サラ・ヤング 著、佐藤知津子 訳)
聖書を神からの直接の言葉として語り直した、いわば聖書日課というようなものです。私はキリスト教も仏教も特に信仰しているわけではありませんが、ふと開いたページの数行が心に飛び込んできました。
「信頼と感謝を忘れさえしなければ、今日1日を無事に過ごすことができる」
本を送ってくれた知人がいちばん大変だった時、3年にわたって毎日読んだ本だそうです。
言葉は何という力を持っているのでしょう。私自身、編集者として38年間、言葉に触れてきましたが、今、改めて、多くの人の言葉によって励まされ、気持ちを届けて頂いています。
今日も至誠とのFaceTime越しの面会の時に、谷川俊太郎の「生きる」の詩を暗唱しました。
生きているということ。
今、生きているということ。
たくさんの、たくさんの思いをその言葉にのせて。
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