「今を生きる」ーー小石至誠の今

  1. Family

9月11日、土曜日の朝。6時頃、ふと目が覚めました。そのあとすぐに電話が鳴りました。家人の入院している病院からでした。


「すぐに来てください」
心臓がドキドキし、倒れるのではないかと思いました。


駆けつけると、担当医から体内酸素濃度が下がっているとのこと。高濃度酸素療法に切り替えますと説明がありました。すぐに処置をし、その後、病室で短時間会うことができました。


太いカニューラ(管)を鼻に差し込んでいますが、意識はしっかりしており、話すことができました。喉が渇くのか、「下のコンビニにある青森のリンゴジュースが飲みたい」と。後で届けたのですが、唇を湿らせる程度でも、とても喜んだそうです。


その日は、帰宅しても不安ばかり。友人のひとりが、車で来て夜通しそばで話し相手になってくれ、夜中3時頃、彼女が帰った後、深く眠りました。


9月12日、日曜日の朝。7時15分に病院からの電話で起きました。急いで病院に行くと、高濃度酸素を100%にしても、自分の肺が十分に酸素を取り込めない状態とのこと。口から気管挿管して、人工呼吸器に切り替えましょうと、医師から説明がありました。


気管挿管すると、ほぼ眠った状態になり、話もできません。


処置の前に会うと、意識もはっきりしていて、話すことができました。家人はコロナによる肺炎ではありませんが、病院全体がコロナ対応のため、常に防護服やマスク、フェイスシールドをつけての入室です。


家人は、至誠は、意識障害と歩行障害を起こし、体の自由があまり効かなくなって自宅療養になってから、私の呼び方が変わりました。
それまでは「結花」と呼んでいたのですが、「結花ちゃん」と。
この時も、「結花ちゃん、結花ちゃん」と何度も声に出しました。そして「ありがとう」と。


限られた時間の面会なので「結花ちゃん、まだいられる? 良かった」と。


その後、人工呼吸器をつけ、24時間体制で見守るため、集中治療室(ICU)に移されました。
ICUで再び防護服をつけ、会うことができました。


先生が「浅く眠っているけれど、耳は聞こえると思うので、話しかけてください」と言ってくれました。手を握って、話しかけ、名前を呼びました。


そして、谷川俊太郎の「生きる」という詩の最後の部分を暗誦してあげました。いつもしていた、ベッドでのストーリーテリング(本の読み聞かせ)のように。


生きているということ。

いま生きているということ。

鳥は羽ばたくということ。

海はとどろくということ。

かたつむりははうということ。

人は愛するということ。

あなたの手のぬくみ。

命ということ。

(谷川俊太郎「生きる」抜粋)


土曜日の朝も日曜日の朝も、3人の友人が病院に駆けつけてくれ、待つ間、一緒にいてくれました。先生の話も一緒に聞き、私が気づかないことを質問してもくれました。それがどんなにか、心強かったかことか。


今朝も病院からの電話が鳴るのでは、とドキドキして目を覚ましました。こちらからかけると、今朝は状態が落ち着いているとのこと。酸素値も少し良くなったそうです。


今日も朝から、街には何度も救急車のサイレンが響いています。さまざまな理由で、病院へと向かう人、そして家族。


9月9日、私たちがそうだったように、どれほど不安なことでしょうか。その中には、コロナの方も多くいらっしゃるはずです。家人の病院もコロナを受け入れており、切迫感は別の病棟にいても感じます。


人は「自分ごと」になって、初めてその痛みを知るのです。私も、コロナ禍での肺炎をニュースで知っていても、今の今まで、自分の痛みとして感じていませんでした。


このような苦しい話を書くことは、私自身にも辛く、躊躇っていました。
けれど、気にかけてくださっている皆様に、至誠の今をお伝えすることは、私の「仕事」だと思いました。
そう思わせてくれたのは、友人からLINEで届いた今朝のコメントでした。


彼女がある仕事を通して感じたのは、


「あなたが何気なく過ごした今日は、昨日亡くなった誰かがどうしても生きたいと願った明日」


という言葉だと。


「今を生きる」ーー至誠が今、必死に戦っているように、私も今を生きなければならない。
書くこと、伝えることは、私にとっての「今を生きる」ことなのだと。


掃除をし、洗濯をし、食事をし、仕事をして、そして書く。いつものように、いつもの暮らしをすること。


至誠を信じて、ただ信じて、祈り続けます。

日曜日、病院から帰宅して花を買いに行った。
赤いバラを1本だけ。
こういう時は花束は重すぎる、と知った。

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