いつか、この冬を愛しむだろう

  1. Family


東川は毎朝のように、こまかな雪が積もりますが、溶けていく雪の方が遥かに多く、雪どけの季節を迎えています。


美しかった冬。今度来た時には、この白い景色は見られないだろうと思うと切ないほどです。


東川に来始めたのは11月。至誠の葬儀から、数日後のことでした。1日でも早く、至誠と一緒に東川に行きたい。ただそれだけを思っていました。あれから5ヶ月が過ぎようとしています。


黄金色だった11月の景色から、真っ白な世界へ。その中で、東川2M houseはたくさんのゲストを迎えました。


ゲストが私を支え、励ましてくれました。きちんと食べること、笑うことを失わなかったのも、ゲストのおかげです。きっと、私が泣き暮らしてしまわないようにと、至誠がそうしてくれたのだと思います。


最近では、鳥たちもやってくるようになりました。ヒマワリの種が好きなシジュウカラやヤマガラ。リンゴが大好物のヒヨドリ。昨日はキタキツネも庭を散歩していました。

シジュウカラ。
ヒヨドリ。
キタキツネ。


東川の素晴らしいことの一つは、人も動物も、適度な距離感でいることです。勝手に踏み込んだりはしない。けれど、必要な時にそっと手を差し伸べてくれるーー多くの場面でそれを感じてきました。


東京では躊躇してしまうこともしばしばですが、東川では家に招くことも、また招かれることも日常です。その適度な距離感がとても心地よいのです。


この5ヶ月の間に新しく始まったことの一つは、岐阜の義理の父と手紙のやりとりをするようになったこと。


今日もおとうさんから便りが届きました。長く書道を続けていた義父は今も文字を書くことを厭いません。


前略

お便りありがとう。懸命に明るく強く生きようと、悲しみと両立する様子がよくわかります。神様は「忘れる」という特権をくれました。ほんの少しでも、悲しみが少なくなることを念じています。至誠もそう思っているのではないでしょうか。(中略)どうぞ、お元気で。笑顔を取り戻して下さい。 父


99歳のおとうさんにとって、至誠が先に逝ったことがどれほどの悲しみであったことか。こうして労ってくれる文面を見るたびに、涙が溢れて止まりません。

「もうひとり娘ができた」と言ってくれたおとうさん。今はコロナで面会もままなりませんが、5月の100歳のお祝いには、至誠と一緒に会いに行くつもりです。

おとうさんの手紙はいつも優しい。


伴侶を失うことの喪失感は、親の時とは全く違いました。自分の一部を失ったような感覚は、きっと、これからも変わらないのだと思います。

できることは、ただそのことに慣れていくこと。


東川にもまもなく美しい春がやってきます。窓いっぱいの桜の花も、5月には咲くのです。


今はまだ、そうは思えないけれど、この冬を、至誠のいない初めての冬を、私はいつか愛しむようになるのでしょう。

この椅子たちは、至誠と私のよう。

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