「本当に大切なことだけをして生きる」ーー父の命日に

  1. Family
ベランダの緑をたくさん摘んで、花と共に。

昨日、8月30日は父の命日でした。

秋の空になりつつあった定山渓の緑の中で、弟と共に父を見送ってから一年が経ちました。

父は最後まで尊厳を失わず、決して愚痴を言わず、自分の運命を受け入れて、ただ静かに存在していました。そして、弟や私に、看護師やヘルパーさんに、たくさんの「ありがとう」の言葉を残してくれました。

昨日は、弟を呼んで、自宅で過ごしました。父と母の写真に向かって、声に出してお祈りをしました。弟は「なんとか生きています」と。

環境適応障害から心を病み、長く引きこもった生活をしていた弟が数十年ぶりに札幌に戻ったのは、母の葬儀の時でした。

それ以降、父の介護では、私と交互に父の元に行き、寄り添ってくれました。

そうした中で、弟の心も少しずつ生き返っていったのだと思います。今は一緒に食事をし、話をし、家人の入退院に際しても私を支えてくれています。

昨日の夜、家人と私は自分たちのこれからについて話をしました。そして決めたのです。

「本当に大切なことだけして生きよう」

家人も私も、とても恵まれた人生だったと思います。時代も味方してくれました。やりたい仕事もできたし、機会にも恵まれました。けれども、その中には時間を浪費することこともたくさんありました。

今、家人の病を通して、私たちは「濃密な時間」を意識するようになりました。

私にとって、「本当に大切なこと」は家族、暮らし、仕事です。

家人とは、FaceTimeでつながっている時はもちろん、つながっていない時も心を寄せていること。弟を見守り、サポートすること。父と母を思うこと。

日常の暮らしを丁寧にすること。美しいと思うことを実行すること。

そして、仕事の責任を全うし、社会に貢献すること。

無駄なこと、無意味なこと、心乱されることはもうしない。「本当に大切なことだけして生きよう」と心を決めた、父の命日。それは私にとって、人生のターニングポイントのように思います。

60代の父と母。凛として生きたふたり。
その生き方を私も継ぎたい。