多く方がそれぞれの立場で、COVID-19とその状況について発信していらっしゃいます。
専門家の方の意見も多く、それは本当に有り難いことです。
私のこの半年の、家人の入院を通しての経験も参考になるかと思い、書いておくことにしました。
家人は昨年、10月から急性白血病のため、都内の病院に入院しています。
詳しくはこちら→家族の入院https://yuka-shimoda.jp/wp/family/398/
白血病は血液のがんです。白血球が急激に減るため、免疫力が低下します。そのため、感染症による合併症を最も警戒する必要があります。
家人は入院したとき、すでに肺炎を併発していました。そのため、まずは肺炎の治療を受けたのですが、40度の高熱が何日にもわたって続き、毎日、パジャマを4枚着替えるほどでした。
一時は人工呼吸器も付けていました。父が間質性肺炎でしたので、日々の酸素吸入の姿は見慣れていましたが、家人が病室で人工呼吸器を付けているのを見るのは、とても重い気持ちでした。
幸い一週間ほどで、肺炎の症状が沈静化し、すぐに抗がん剤治療を始めることに。それまでは一般病棟でしたが、無菌室に移ることになりました。
その際、担当の医師から感染症の危険と、どういうことに気を付けなければならないか詳しくお話頂きました。そのほとんどは、現在のコロナウィルス対策と同じです。
感染症の菌の経路は、口とお尻。
その二箇所を清潔に保つこと。頻繁にうがいをすること。
手を介して感染するので、手洗いを徹底すること。
人と接すれば接するほど、感染の可能性は高まるので、家族以外は面会禁止。
無菌室は、病室との間に2mほどの空間があります。そこで上着を脱ぎ、バッグなどを置き、アルコールで手を消毒。マスクとゴム手袋、ビニールのエプロンをつけて入室します。もちろん、患者に触れることはできません。さらに今は、1.5m以上離れています。
このコロナウィルスの状況の中で、日本では「自粛」という言葉が使われ、そこに甘えがあるような気がしています。自粛は禁止と同じこと、と捉えないと意味がありません。
いちばん恐れなければいけないことは、自分もすでにキャリア(感染者)かもしれないということ。自分が発症しなくても、感染源になる可能性があるということです。
私は、以前は毎日、面会に行っていました。無菌室で病院内を出歩くこともできず、コンビニにも行けず、看護師さんと医師にしか会わない毎日。家族との面会は、家人にとって唯一、外の世界とつながる時間でした。
着替えや食事を届ける必要もありました。入院も2ヶ月を過ぎた頃から、家人は三食の病院食に飽きて厳しくなってきました。スチーム調理の無菌食。器の蓋も開けられないということもありました。
食べることは治療の一環でもあります。そこで、担当医の了解の元、夕食だけ届けることに。
自宅で私が作ったものはダメ。食品衛生責任者のもとで管理されたもの、ということで、毎日、伊勢丹のフードコートへ。
生物はダメ、サラダもダメ。大皿盛りで取り分けるものも何時間そこにあったかわからないからダメ。パックに入っているもの。それを病院内の電子レンジで十分に熱を通して殺菌します。
もちろん生卵もダメ。卵は殻の表面にサルモネラ菌がある可能性がある、ということも知りました。納豆、キムチ、チーズなどの発酵食品もダメ。
それでも私が運ぶ夕食は、今でも家人の楽しみです。
その面会も、今は週に3回、10分間だけに。今は冷凍食品と合わせて、なんとかやりくりしています。
救いは、家からFaceTimeで話ができること。今、家人はとても状態がよく、病室から出られないということ以外は、普通と変わらず生活しているので、かなり長く話をしていることもあります。
札幌の父との時もipadで毎日、FaceTimeしていました。
インターネットは優しい。
心からそう思います。私たちが今、生きている時代に感謝する瞬間です。
家人も私も近い未来を信じています。北海道の青空と自然に、また触れる時間が来ることを。
こんな状況でも、関わってくださっている方々のおかげで、私たちの東川の家は順調に進んでいます。
東川の家についてはこちら→https://yuka-shimoda.jp/wp/lifestyle/313/
今年の春は厳しい季節になってしまったけれど、春はまた必ずやってくる。
北国の春は、5月から始まります。梅が桜が水仙がデイジーが、いっせいに咲き、爆発するように春がくるのです。
こんな時こそ、笑顔を!
暮らしの中の小さなことを大切に、と思う毎日です。