その黒い箱は、東京の家の至誠の部屋の棚の片隅にそっと置かれていました。
なぜ今まで気がつかなかったのだろう。
至誠が入院していた間、私はたくさんのポストカードを送りました。
2020年に再入院してからは、ほとんど毎日のように。
退院の時、至誠はそのポストカードを持って帰ってきました。
最後のお別れの時、私はそのポストカードを至誠の棺に入れてあげたのです。少しでも寂しくないようにと。
すべてのポストカードを入れたつもりでした。
けれど、最後の長期入院だった臍帯血移植から退院までの約100日間のポストカードだけは、この黒い箱に入って残っていたのでした。
4年経って、2025年の最後の日、私は自分が書いた至誠へのポストカードを、1枚1枚全て読みました。
12月1日から、3月19日の退院を控えた3月15日までの100枚を超えるポストカード。
退院までの時間が目に見えるようにと、クリスマスプレゼントとしてこの箱を送ったのです。
通し番号をつけたポストカードが毎日届き、その箱を少しずつ埋めていく。
空きが少なくなるほど退院の日が近づいてくる。
至誠はこの箱を「はがき時計」と名付けてくれました。
カードを読んでいて、何度も涙が溢れました。
そこに私が書いていたのは、未来を信じると言うこと。
私たちは前に進んでいると言うこと。
東川の家が少しずつ出来上がっていくと言うこと。
退院したら東川で暮らそうねと言うこと。
繰り返し繰り返し、私は書いていました。
至誠と一緒にご飯が食べたい。
至誠に料理をしてあげたい。
至誠のことを何よりも優先したい。
至誠といつも一緒にいたい。
そして最後はいつも、
至誠、大好きだよ。
という言葉で終わっていました。
あの時、至誠との時間が1年も残っていないなんて、思ってもみなかった。
あるのはただ、東川での幸せな時間だけと信じていました。
至誠が逝ってしまった後、もっとたくさんの言葉を伝えたかった、と後悔しました。
けれど、、、
きっと至誠には伝わっていたのだと思います。
毎日のポストカードは、至誠への私の思いそのものでした。
今、時間を追って読んでいくと、至誠が受け取った時の気持ちがわかるような気がしました。
こんな結果は、誰も思ってもみなかったけれど。
悲しみは消えることはないけれど。
でも、、、この癒えない悲しみは、それだけ深く共に生きたことの証なのだと、今は思います。
人生は予想通りにはいかない。
5年前、私が思い描いた日々は、なんて大きく違ってしまったことでしょうか。
それでも、人生は続いていく。
そして、悲しみは続いても、その傍で喜びや笑いも、日々の中には共にあるのです。
「ハガキ時計」の箱は、至誠から私に届いたギフトなのかもしれません。
この先、耐えられないと思うことがあっても、この箱を開けると、至誠と私の心を通わせた時間が確実に存在しているのですから。
2025年が終わろうとしています。
至誠、私と一緒に、これからも東川で幸せに暮らしていこうね。


















