10月26日は、至誠の命日だった。あの日から、今年で丸3年になる。
1年目も2年目も、至誠の最後に寄り添ってくれた友人たちと、東京で過ごした。
でも、今年は東川にいたかった。この3年で、私の居場所はここになってしまったから。
ひとりで過ごすのは寂しくて、大学時代からの友人、カズに来てもらった。
カズとペソさんと私は、1959年生まれで、大学のマジックサークルの仲間だった。
至誠は7歳年上で、3人にとって共通のマジックサークルの先輩だった。
19歳のときから、私たちは46年も繋がっていることになる。
そんなカズだから、命日に至誠のことを話せると思っていた。
でも、結局、至誠の話はあまりできなかった。
普通に話すには、至誠のことはまだつい最近のことすぎて辛かった。
26日、カズと旭岳温泉に泊まりに行った。18年くらい前、夏休みに至誠と泊まったことがあるホテルを選んだ。
まだ、東川町という名前さえ知らなかった頃。
至誠と数日滞在して、毎日車で走る中で、美しい田園風景が強く記憶に残っていた。それが東川だった。
父も母も旭川の祖母もそして至誠も存命で、家族の憂いもなく、ただ仕事に熱中し、私が無邪気にいられた時代。
旭岳温泉のその同じホテルで、至誠との時間の、小さな記憶の断片が、そこここに思い出された。
帰る間際になって、持ってきた至誠の写真を2人で眺めた。「小石パパ、いい年齢の取り方をしていたねえ」とカズが言った。
時はあまりにも儚く、残酷で、それでいながら思いがけず甘美だ。
辛い記憶の間に浮かんでくるのは、至誠と一緒にいることができて良かった、という素直な感謝の思いだった。
カズといた時は涙にならなかったのに、苫小牧に帰宅したカズからのメッセージに泣いた。
「ゆかちゃん、悲しさも恋しさも抱きしめて生きて行こうねぇ」
東川の家に戻ると、庭のイチョウが全身黄色く染まり、傾いた陽射しの中で輝いていた。
至誠のことを思う時、いつもこのイチョウを思い出すだろう。3回目の命日に、鮮やかにそこにいてくれたイチョウの木を。
そして3年前、至誠の逝った日も、東川はきっとこんなふうに美しい秋の1日だったのだろう。
そう思うと、とても慰められる気がする。
2023年の10月26日は、渋谷区から住民票を移した。そして今年、この日からまた一つ、次のステップへいく。