もし、明日私の命が尽きるとしたら、この写真を「遺影」にしよう

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10月26日。もうすぐ至誠の5回目の命日がやってくる。

月日の経つのはなんて早いのだろう。あの日から、もう4年も経つなんて。

昨日のことのように鮮明に、痛みを伴って蘇る記憶。それでも4年という歳月は、少しずつその痛みを突き刺すような激しいものから、じんわりと深く届く痛みに変えた。

いや、私はただ、その痛みに慣れただけなのかもしれない。
だから、その鋭さを感じなくなったのかも、と思う。

今も至誠のことを思うと、どんな時も涙が溢れてくる。
それは悲しいというより、至誠の温かさを感じるから。

先日、東川在住の斎藤隆吾さんに私と至誠の写真を撮ってもらった。
斎藤さんは、多くの著名人の写真も撮っている有名なフォトグラファーだ。
東川という場所で出会わなければ、撮ってもらう機会はなかっただろう。

私自身、今まで多くの写真家と仕事をしてきたし、プロフィール写真は講演会やセミナーなどの仕事に不可欠だから、何人ものプロに撮ってもらったことがある。

しかし、今回はただプロフィール写真を撮るというのではなく、今の私を残すつもりで臨もうと思った。
そう、もし、明日私の命が尽きたときには「遺影」になる写真を。

撮影の前日、斎藤さんに家に来てもらい、これまでのこと、至誠と私のことを聞いて頂いた。
どんな思いで東川に来たか、この家が2人にとってどんな場所であるか。

斎藤さんは、いつも私の身近にあるものと一緒に撮りましょうと言ってくれた。

翌日、至誠の好きだった椅子「羊のモリー」を、斎藤さんがスタジオに運んでくれた。
このイームズとサーリネンがデザインしたヴィトラのオーガニックチェアのシープスキンバージョンは、デザインされてから80周年を記念して作られた限定品。そんなことは何も知らずに至誠が衝動買いしたものだ。

白血病で長く入院生活を続けていた至誠が、数日だけ一時退院し、2人の週末散歩でよく行っていたコンランショップに立ち寄った時のこと。
「羊のモリー」という名前をつけたのも至誠だった。

撮影の日、私はリネンの白いシャツを着た。東川での私、今の暮らしの私らしいと思ったから。

撮影はごく短い時間で終わった。斎藤さんには撮るべきものが見えていたと思うし、私自身もカメラの前で「素」になる心構えができていた。
撮る者と撮られる者、一瞬の心の交錯がそこにはあった。

前半、何も持たずにカメラと向き合った。
そして後半、私は至誠の写真を手にした。至誠を抱きしめるように引き寄せる。
涙が溢れたその瞬間、シャッターの音が響いた。

これから毎年、この季節に、自分と至誠の写真を撮ってもらおうと思う。

自分にあとどれだけの時間があるのかわからないけれど、至誠と私の人生を重ねていく証として。