年明けから辛いニュースが続き、心がザワザワと落ち着かない日々でした。
北陸には、知り合いもおり、幸い大きな被害にあった方はいませんでしたが、避難所の様子などを見るにつけ、寒さはいかばかりかと思わずにいられません。
今すぐ自分にできることはあまりありませんが、災害の復旧にはとても長い時間がかかり、それは言うまでもなく、暮らしを再建していくことにつながります。
その中で、私や仲間がお手伝いできることが出てくるはず。その時のために今は静かに被災地に心を寄せて、日々の自分の生活を丁寧にと思います。
この年末年始は、雪と共にありました。
年末に、スキーのチューニング工房している85歳の叔父に、スキーのメインテナンスをしてもらい、お正月からほぼ毎日のようにスキーをしていました。
若い頃、競技スキーをしていた母の弟である叔父は、今もスキーをしています。そのために、夏は畑を作るかたわら、毎日、バイクでパターゴルフに通っているとのこと。叔父と一緒に滑るのが、今年の私の目標です。
家から車で10分のキャンモアスキービレッジは、スポーツジムのような存在。リフトの待ち時間もほとんどなく、7分で頂上まで上がって3分で滑ってくる。1時間も滑れば充分という感じです。
それでも1本1本の滑りが同じということは決してなく、また日々の天候や雪の状態も全く違います。
淡々とスキーと向き合っていると、スキーは人生のようだと思いました。ただ降りることだけを考えて、スピードに任せて滑ってくるとあっという間です。けれど、ひとつひとつ丁寧にターンし、自分の体と一体になっていることを感じながら降りてくると、その瞬間がとても味わい深いものになります。
目標だけを見てひたすら走っている人生と、立ち止まりながら日々の小さなことに目を向けて生きる人生と。
1年目には気づかなかった、この家の窓からの景色や鳥たちの様子も3年目になって見えてくるものが多くなりました。
庭の桜と木蓮の木には、毎日シジュウカラ、ヤマガラ、ときにはアカゲラやリスもやってきます。
短い時間、この家に来た方たちには、冬の景色は止まっているように見えるかもしれません。
しかし雪の状態は毎日変わり、枝に降り積もる雪も瞬時に姿を変えていきます。ライトアップされた吹雪の夜の美しさは、ここにいて初めてわかることです。
鳥たちの日々のさえずりや生態も、長く見続けていてこそ気づくことがあります。
東川に来て多くのことを学びました。その学びのほとんどは自然が教えてくれたものです。
春から夏にかけては命の勢いを、秋には移り変わっていく時間の美しさを、そして冬にはとどまることを知らない変化を。
人生の後半になって、このような経験をするとは予想していませんでした。
雪の中にひとりでいることを、「寂しい」と表現することもできるかもしれません。
けれど、実際にはあまりそう感じることはありません。
ひとりを楽しむ方法はたくさんあり、幸いなことに私はそれに長けているようです。
19歳で至誠と出会って、ずっと一緒に生きてきました。暮らしの多くの部分を至誠が支えてくれ、私は歳が離れていることもあって、かなり頼りっぱなしだったと思います。
家のメインテナンス、契約のこと、マンションの管理。電球や電池さえ取り替えたことがありませんでした。
至誠がふっといなくなって、すべてを1人でやっていくことになった時、不安でなかったかと言えば、そんなことはありません。
それでも「ひとりできないことは何もない」と思えば、それなりに何とかなってきました。
もちろん周りの方たちがたくさんたくさん助けてくれました。
好きな音楽を好きなときに大きな音で聴くことも、読みたいときに読みたいだけ本を読むことも、食べたいものを自由に作って食べることも、思い立った時に車で好きな場所に行くことも、ひとりだからできること。
そして、ひとりだけれど、実はいつも至誠と一緒です。私の中にはいつも至誠がいる。
Facebookに上がってきた2018年新年の写真の中に、至誠と散歩に行って花を買い、その花を至誠がリュックに挿した後ろ姿がありました。
ふたりの時間が長くあったからこそ、今、ひとりで生きていける。
ひとりを楽しみ、人とのつながりに感謝して、今年は、自分が生かされていることの意味を確かめる時間にしたいと思います。