昨日、至誠のお姉さん2人が岐阜から来てくれました。夜でしたが、3人で至誠に会うことができました。
至誠はすやすやと寝ていましたが、お姉さんたちの呼びかけに、目をぎゅっとしてくれました。
至誠はいつも私を支えてくれました。
私が就職活動をしていた頃。まだ男女雇用機会均等法もなかった時代です。1981年。
そうでなくても、マスコミの就職は狭き門でした。次々に内定が決まっていく学生たちの中で、私自身はなかなか出版社の試験を受けることさえできない、そんな状態が続いていました。
他の職種を受けようかーーそんなふうに思ったこともあります。その時、至誠が「アルバイトとしてでも入って、出版社で頑張ったら?」と言ってくれました。その言葉がなければ、出版社を諦めていたかもしれません。
フリーランスとして仕事をしている至誠からの励ましは、私に力をくれました。
婦人画報社に入ってからも、至誠はずっと私を支えてくれました。
それぞれが経済的にも精神的にも独立して、夫婦であること。
その私の望みを至誠は受け入れ、認めるだけでなく、暮らしを半分背負ってくれました。至誠はずっとひとり暮らしだったからか、自分のことは自分ででき、洗濯も掃除も料理も淡々とこなしました。
私たちは7歳、年が離れています。至誠は大学のマジックサークルの先輩でした。卒業後、「ナポレオンズ」というチームで、プロのマジシャンとして仕事をしていましたが、マジックサークルにOBとしてよく遊びにきていました。
人の縁、について考えます。
至誠が岐阜から東京に出てこなかったら。私がこの大学を受けなかったら。マジックサークルに入らなかったら。あの時、サークルの勧誘にのらなかったら。
私たちの出会いはなかった、、、。
至誠に出会わなければ、私の人生は全く違ったものになっていたでしょう。出版社にもいかず、自分の居場所を探してさまよっていたかもしれません。
今、しみじみと思うのです。私の人生は、至誠との出会いの中でつくられてきた、と。
尊重し、そして守ってくれた。
そのことに感謝しかありません。
Day6
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