家族の入院で落ち込んでいることもありますが、日々の暮らしの中では、悲しみと喜びはないまぜになって訪れます。
父の介護で札幌に帰っていた時もそうでした。
当たり前の普通のご飯でも、父のために料理をするのは喜びでした。
彩りのよい朝食に父が「きれいだなあ」と言ってくれたこと。
父のお気に入りのシャツのほつれた袖を、トリミングして繕ったこと。
日々、弱っていく病床の父を見続けることはつらく暗い思いを抱えながらも、去年の北国の春は本当に美しかった。
道端の可憐な花たちに、何度も笑みがこぼれました。
三日間、通った満開の桜並木の染み入るような優しさは忘れがたいものでした。
父の病院は定山渓という温泉地にありました。
介護の合間に通った毎日の露天風呂は気持ち良くて、束の間、日常を忘れることさえありました。
今もそうです。
自分で料理をし、少し美しく盛り付けて、音楽をかけてゆっくり頂く。
部屋を片付け、花を飾り、日々手がけて生け替える。
天気の良い日、ベランダに椅子を出し、お茶をする。
その中にはいつもささやかな歓びがあります。
料理や花、インテリアの工夫。
こうした「暮らしの術(すべ)」は、つらいことがある時ほど、自分を支えてくれるものだと思います。
悲しい時には手を動かし、寂しい時には仕事をする。
いつしか、それも「暮らしの術」になりました。
人は誰でも人知れず大きな荷物を背負っています。
新型コロナの影響で先の見えないことに、漠然と感じる不安と閉塞感。
1ヶ月前には予想できなかったことのなんと多いことでしょうか。
でも、だからこそ。
活動が制限され、テレワークで家にいる時間が長い今、家や暮らしに目を向けたい。
私自身を支えてくれた、自分なりの「暮らしの術」が、こんな時、誰かの役に立つことを願って、明日からこの中で取り上げていきたいと思います。
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