父がくれた夏休み

  1. Family

父が急に食事を取らなくなったーーと病院から連絡があり、札幌の郊外、定山渓病院へ。

8月の初めに、療養型の病院に転院したばかり。

着いたのが深夜だったので、そのまま父の病室に小さなベッドを置いてもらいました。

ちょうどお盆期間で、会社の社休日などもあり、一週間は父のそばにいられます。

食べることは、生きること。

父が食べないというのは、もう生きたくないということ。

だからとても心配しました。

幸い、少しずつ食が戻り、ほっと一息。

札幌市内の実家に帰っても、毎日、2時間近くかけて通ってくることになります。

こんなふうに父と一緒の時間は、もうないかもしれない、と心のどこかで思い、病院に泊まることにしました。

周囲には温泉ホテルがたくさんありますが、父と同じ病室に居たかった。

よし、毎日、日帰り温泉に行こう。

宿泊は病室なので、一泊¥250(ベッドと布団レンタル代)。

これは「父がくれた夏休み」。

そう思うことにしました。

介護は長期戦で、正解もありません。

いつも起きたことに精一杯対応するしかないし、大抵の場合は、そばにいてあげることしかできません。

家族にとって精神的にとても重いことです。

実際に付き添っていると、時間があるようで細切れにしかなく、いつ父に呼ばれるかわかりません。

そんな中で、仕事に向き合うことは難しいと、すぐに気づきました。

そもそも介護のモードと仕事のモードは正反対。

介護はゆっくり、ゆったり、静かに。

合理的に、優先順位を決めて片付ける仕事モードとは、絶対に相容れないのです。

だから、あるときから、付き添っているときは仕事のことは最少限のメール程度にとどめることにしました。

父と一緒にいられる時間は間違いなく、限られているのだから。

父は完全看護の療養型の病院にいて、個室でケアしてもらっています。

私と弟は、一週間に一度、どちらかが東京から来るようにしています。

もっと厳しい介護の方はたくさんいると思うし、私の経験などとてもささやかなものかもしれません。

それでも、今、介護に向き合っている方、これからそれが予想される方(ほとんどの方がそうだと思う)に、私の経験が少しでもお役に立てば、と思います。

次回は、私の「介護の工夫」を書いてみることにします。

私の結婚式の写真をじっと見つめる父。
私、23歳。父、51歳。